2008年11月20日星期四

【日本料理】充满传说的小吃--天妇罗

天ぷら
読み方:てんぷら
同義語:天麩羅・天婦羅・薩摩揚げ

天ぷら
读音:てんぷら
同义词:天麸罗・天妇罗・萨摩扬

もともと関東地方では東京湾でとれた新鮮な魚を天ぷらに、一方関西地方(特に京都)では新鮮な魚が入手しにくかったので野菜や山菜を天ぷらにして食べていました。食材の旨みをサクサクとした衣で包み込んだ天ぷらは、世界中の人々に好まれている日本料理の一つです。

最初关东地区用东京湾捕到的新鲜的鱼做天妇罗,而关西地区(特别是京都)因为很难弄到新鲜的鱼,则用蔬菜和山野菜来做天妇罗。美味食材外包裹一层松脆挂糊的天妇罗是为全世界人们所喜爱的日本料理之一。

色々な語源説
天ぷらにも関東風と関西風があります。関東風の天ぷらは、卵を入れた衣を胡麻油で揚げたもので、こんがりキツネ色に仕上がるのが特徴です。一方関西風の天ぷらは卵を入れない衣をサラダ油で揚げたもので、白い天ぷらが特徴です。もともと関東では江戸前でとれた魚を天ぷらにしていたので、魚の臭みをとるために胡麻油で揚げるようになった言われています。一方関西では野菜中心であったため、自然の味を生かすため天つゆではなく食塩をつけて食べるようになったと言われています。
「天ぷら」はポルトガル語で「四季の斎日」を意味する「テンポラ」が語源という説があります。四季の斎日とは季節のはじめの三日間に祈りと節食をする習慣です。この期間中信者は肉を食べる事が禁じられるため、魚などに小麦粉の衣を付けた料理を食べていました。この料理が日本に伝わり「天ぷら」になったと言われています。この他にもポルトガル語で調味料・料理を意味する「テンペロ」や、「あ・ぶ・ら」の当て字で「天〔あ〕・ぷ・ら」など、語源に関しては様々な説があり、どの説が正しいのかはっきりした事はわかっていません。

形形色色的语源说
天妇罗也分关东关西风味。关东风味的天妇罗挂糊时放入鸡蛋,然后用胡麻油炸制,焦黄的黄褐色是其特点。而关西风的天妇罗挂糊时不放鸡蛋,用色拉油炸制,呈现白色。据说原本关东地区在江户前用捕捞的鱼做天妇罗,为去掉鱼的腥味选用胡麻油。关西以蔬菜为主,为保持自然风味不是沾汁而是沾食盐食用。
据说葡萄牙语中意为“四季斎日”的“tenpora”是“天ぷら”这个词的语源。所谓四季的斋日是指季首的前三天祈祷和节食的习惯。这期间禁吃肉所以信奉者就吃挂了面糊的鱼等食物。传入日本后叫做“天ぷら”另外,还有其他各种关于语源的说法,例如葡萄牙语中意为调味料・料理的词为“tenpero”,以及“あ・ぶ・ら”对应的字为“天〔あ〕・ぷ・ら”等。到底哪种说法正确无从得知。
もともとは南蛮料理
天ぷらは日本古来の料理ではなく、今から約400年前(16世紀の中頃)鉄砲の伝来とともにポルトガルから長崎に伝わった南蛮料理です。当時の日本では油は灯火用の大変貴重なものだったため、調理に大量の油を使用する天ぷらは高級品として扱われていました。江戸時代に入り油の生産が増えた事によって、天ぷらは次第に庶民の大衆料理として広まっていきました。はじめは立ち食い屋台で、おかずと言うよりは間食のような感覚食べられていたようです。天ぷら料理の専門店や料亭が出現しはじめたのは明治以降の事です。

原本是南蛮料理
天妇罗不是日本自古以来就有的,是距今大约400年前(16世纪中期)与铁炮一同从葡萄牙传入长崎的南蛮料理。当时的日本油是用来照明的,非常贵重。因此,需要用大量的油烹制的天妇罗在当时是高级料理。进入江户时代后,油的产量大增,天妇罗也渐渐作为平民料理推广开来。开始是在小摊前站着吃的食物,相比菜肴来说,称为零食更为贴切。专营天妇罗的店铺和料亭的出现是明治以后的事情。

天ぷらが死因!?
徳川家康は天ぷらを食べ過ぎて死んだ!?という説があります。
1616年、駿府(現在の静岡県)で暮らしていた家康のもとへ、当時大変珍しかった天ぷらが献上されました。家康は天ぷらをとても気に入り一気に食べ、その後具合が悪くなり亡くなってしまったといわれています。この当時はまだ油が大変貴重な時代だったので、家康と言えども油料理を食べる事はめったにありませんでした。普段油料理を食べ慣れていなかったため消化不良を起こした事や当時73才という高年齢だった事などが原因だと考えられていますが、確かな事は分かっていません。

天妇罗是死因?!
德川家康因过食天妇罗而死!?有这么种说法。
1616年,当时非常少见的天妇罗被进献至骏府(现在的静冈县)的家康宅邸。据说家康特别喜欢天妇罗而一口气吃了很多,之后身体状况变差而亡。当时还是油很贵重的时期,即便对于家康而言也很少吃油做的料理。有人认为平时不太吃油性食物引起的消化不良和当时73岁的高龄是事情的起因,事实如何也无从考证。
网络转载

没有评论:

我爱狼窝

小知识

胡说八道